MM社史ダイジェスト最終
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1948年2月1日1962年1963年1969年1971年1976年1979年12月11日1980年「学生会活動をやっていたので、輪転機が使えた。ノートを自動的にロウ原紙に写せる器具も出ていた。小冊子に製本して、5000円くらいで売るようになった」それが、医師国家試験対策の活動に繋がっていく。岡庭はやがて、大学新聞改革や学内改革に注いだエネルギーを国試対策に向けるようになる。「その根底にあったのは、医療改革、医学教育改革への思いだった。『PINK本』を出すようになってから、国家試験のための予備校をつくってひと儲けしないかという誘いも受けた。だが、それらはすべて断った。そんなつもりで始めたのではない。国試対策に関わることで医学生を引きつけ、クラス討論、さらには医学教育の革新にも繋げたいという純粋な志があった」長野県福島町(現・木曽町)生まれ。開業医の一人っ子として少年期を木曽で過ごす。医学部進学を見越した父の計らいで、中学3年のとき、東京・杉並の父親の姉の家に。杉並区立東田中学校に入学。都立杉並高校入学。安保反対闘争の嵐が全国で吹き荒れる「60年安保闘争」の時代、医学部を目指す。昭和大学医学部入学。体育会スケート部に。東日本医科学生総合体育大会冬季大会で、スピードスケート部門の5連覇に貢献、その後キャプテンに。500m・1500mでたびたび個人優勝を果たす。「昭和大学学生新聞」を創刊。編集長として腕を揮い、出版や印刷の知識も身につけていく。3年から、学生会委員長となり学内改革運動の先頭に立つ。学内試験のボイコットをして謹慎処分を受けたり、政治的な活動に首を突っ込んでデモで捕まったりしたことも。医師国家試験対策の情報交換を目的に「全国医学生交流会」結成に参加。昭和大学医学部卒業。医師国家試験に合格、同大学麻酔科学教室助手。『国試対策問題集』を発行。翌年2月、『subnote保健医療論・公衆衛生学』を発行。株式会社メディックメディアを設立。神奈川県立こども医療センターに。同年、渡米。—以降は社史本編をご覧くださいYutaka Okaniwa Profile岡庭 豊 プロフィールfor Reformation of medical pedagogy

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