MM社史ダイジェスト最終
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“医師”という枠に収まりきらなかった岡庭豊の発想力と行動力1976年に医学部を卒業した岡庭は、医師国家試験に合格後、昭和大学医学部麻酔科学教室に入局し、のちに助手となる。1978年2月、『国試対策問題集』(PINK本)が発行された。医師国試出題委員の各大学内の過去問題を掲載した、医学生向け“国試予想問題集”である。話は岡庭の大学時代に遡る。岡庭は真面目に授業に出席する医学生ではなかった。だが「精神医療を考える会」の活動や市民運動などでクラス討論会を開くため、大学には毎日通っていた。「ぼくらの学生会活動で、出席制度を廃止させたんだ。授業にはあまり出なかった。その代わり、一番前の席で真面目にノートを取っている連中に声をかけて友達になった」岡庭はそのノートを掻き集め、自らのため“試験対策ノート”を作った。「講義中の冗談まで書いてあるクソ真面目なものから、分かりやすく整理されたものまで、それらを吟味して、これは、という一冊に仕立てた」。周囲を見回すと、授業に出てこない学生は大勢いた。コピー代程度でそのノートを分ける仕組みが、自然と出来上がった。「授業にほとんど出なかった奴が、ぼくが作ったノートで勉強し、結構いい成績で進級していた」と岡庭は笑う。ちょうど、コピー機が普及し始めたときだった。学生街にはコピー屋が軒を並べ、最初1枚50円だったコピー代は、25円、10円とぐんぐん値を落としていった。だが、ページと部数が増えると、コピー代はバカにならない。コピーを取る手間もあった。そこで岡庭は、ガリ版印刷にすることを思い立つ。鉄筆でロウ原紙にノートを書き写し、印刷するのだ。わら半紙を使えば、1枚1〜2円のコストに抑えられた。岡庭が学生時代にまとめた産婦人科ノート。その後多くの後輩たちにコピーされ、配布されることになる。6始まりは授業ノートのコピーだった出帆。

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